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ホリエモンの語るお金の歴史2 新しい技術を政府が取り込んだ事例(和同開珎、米の先物取引)

2018/09/24
 
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経済学修士取得。 今は金融業界で営業として働くサラリーマンです。 リサーチ職(エコノミスト)、経済学博士取得を目指して奮闘中。

こんばんは、サーズです。

今日はこちらの本を取り上げます。

ホリエモンは前々から最も信用出来るのはテクノロジーであり、テクノロジーによってのみ制御される仮想通貨に強い信頼を置いています。

そのロジックとして、これまで日本の通貨の歴史の中にも、新しいテクノロジーが先行して人々の生活に馴染んでいき、当時の「慧眼を持つ」為政者たちはそれを取り込んでいった、という話を展開しています。

それが面白かったのでメモがてら記事にします。

 

技術が先行してきた貨幣の歴史

和同開珎

当時の和同開珎は鋳造技術が低く、偽物が非常に多かった。偽ガネを作ったものを殺すのではなく、奴隷のような身分ではあったが貨幣鋳造技術士のような形で政府に取り込んだ

 

江戸時代・世界初の先物取引所・堂島米会所

大阪から離れた各藩の者にとって、堂島の米相場は一刻も知りたい情報だった。

自分の住む相場と値段が違えば、売りや買いを入れてサヤを抜くことが出来る。

狼煙だと雨の日に使えないため、巨大な旗を振るようになった。「旗振山」の起源。

旗振山は江戸幕府の規制の対象になり、幕府軍の監視対象下となった。

 

米の先物取引

ビットコインやFXのように、当時も米の先物取引に熱中している人たちがいた。

当時は「日取り取引」という、デイトレードが流行っており、証拠金に対するレバレッジも100倍というかなりの高さだった。

風紀上よろしくないという理由で幕府は当時の米の先物を問題視していたが、

大岡越前守は米の日取り取引は、市場に流動性を生み、米価の安定に繋がっていると主張した。

 

参考:江戸時代の貨幣経済

江戸時代は、金、銀、銅という3つの貨幣と米から成り立っていた。

それぞれの相場は変動していた。

東日本では佐渡金山があったため金がメインで流通しており、西日本では石見銀山などがあったため銀の取引が多かった。米は東西を結ぶ基軸通貨のように働いていた。

武士は給料を米でもらっていたため、米相場が下落しているときには生活苦を強いられ、借金をよくしていた。

 

まとめ

日本の通貨の歴史の中にも、新しいテクノロジーが先行して人々の生活に馴染んでいき、当時の「慧眼を持つ」為政者たちはそれを取り込んでいった事例が数多くある。

和同開珎の鋳造技術、旗振山、米の先物取引など。

 

(蛇足)

どうしても経済理論ありきに経済を眺めてしまいますが、こうして違う畑の人の意見を聞くのは貴重ですね。

そして私は根拠を論文まで求めてしまいますが、ホリエモンにとってそんなことは重要ではなくて、

使える知識を効率的に使っている。うらやましい。笑

現代でいえば仮想通貨というテクノロジーが経済を変えつつあるのであって、

ホリエモンの「テクノロジーが経済を変える」という視点は私も持ち合わせたいなあと思います。

 

今日は以上です!

 

 

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経済学修士取得。 今は金融業界で営業として働くサラリーマンです。 リサーチ職(エコノミスト)、経済学博士取得を目指して奮闘中。

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